私とノブくん
ノブくんは小学校の同級生だ。
ある日のこと、クラスのみんなが、チャイムが鳴っても騒ぎ続けていた。
私は学級委員だったので、声を大きくしてうるさい!静かにしろ!と叫んだ。
しかし、どんなに叫んでも教室は静まらない。
そうしているところに先生が来た。
先生は教室に入ると、教室を見回して「今騒いでいたのは誰だ?」と聞いた。ノブくんは私を指して、「こいつが一番うるさかった。」と言った。
私は、そりゃあないじゃないかと思った。
またある日、工作の時間にノブくんは私のハサミ入れの袋をハサミでつかもうとしていた。
ハサミ入れの袋と言っても、ちょっと硬めのビニールで出来てるやつだから、どう考えても切れてしまう。
私は何度も「やめてよ!やめてよ!」と言ったが、ノブくんは「絶対大丈夫だ!」と言って聞かなかった。
その結果、ノブくんは器用に私のハサミ入れに切れ込みを入れた。
私は、そりゃあないじゃないかと思った。
ノブくんはエロいやつだ。
ある日ノブくんは突然、給食のソーセージをしゃぶり出して、「ちんこ美味しい」と言い出した。
みんな、バカなことしてると思って笑っていたが、私は一人その生々しさに衝撃を受けていた。
同じ飼育委員になった時は、ウサギを持ち上げて、マンコ!マンコ!と言っていたし、
女同士で抱き合うのを見てレズだ!と言ったりしてた。
私はよく一人で、図書館の行き過ぎた性教育の本を読んでいたので、彼の言っていることがよく分かった。
ノブくんとエロい話をよく二人で共有して楽しんでいた。セックスは私たちの秘密の合言葉だった。
ノブくんは強いやつだ。
私たちはよく公園で遊んでいたのだが、よくいたずらしてくる子がいた。
度を超してしつこいいたずらが続いたある日、ノブくんはキレた。
いたずらっ子を公園から家まで追いかけ回し、その子が家に入ると、「出て来いや!」と叫び、その子の親に向かって「親の教育が悪いからこうなったんだろうが!」と叫んだらしい。
恐ろしい子供だ。
ノブくんは悪いやつだ。
ノブくんは身体障害者の事を「しんしょー」と呼んでバカにした。と言ってもそれはノブくんだけじゃなかった。私の小学校では、のろまな奴はみんな「しんしょー」と呼ばれた。
ある日、クラスでアフリカの貧しい子供達のドキュメンタリーを見ることになった。
ノブくんは、ガリガリの黒人の子供を見て
「うちのかあさんがこういうの見て泣いてたけど、意味わからん。キモいわ。」と言っていた。
その時、私はノブくんは悪いやつだと思った。私は、アフリカの貧しい子供達を思いやるのはいいことだと教わってきたからである。
だから、私はノブくんのことを、人の気持ちが分からないなんてひどい奴なんだ!と思った。心の中で罵った。
でも、そうじゃないんだ。
私は一度だけノブくんの家に行った事がある。ノブくんは公営団地の一階に母と2人で暮らしていた。年の離れた姉もいるが、滅多に帰って来ないらしい。
ノブくんの住んでいるところは、私の住んでいるところとずいぶん違っていた。狭い玄関からリビングに入ると、机の上には昨日から置きっぱなしの食器、その周りにはゴミが散乱して足の踏み場もなかった。なんだかわからない物体を見つけて尋ねると梅干しの種だという。
落書きだらけのタンスは壮絶な親子ゲンカの後も感じさせた。ノブくんは、そのタンスの隙間に隠した拾ったエロ本を見せてくれた。
楽しかった。
夜遅くまで母さんは仕事で帰って来ないらしい。
その時の私は、ゲームやり放題じゃん。うらやましい。としか思わなかった。
でも違うんだ。
ノブくんはさみしかったんだ。
夜遅く帰ってきた母親が見ず知らずの子供が飢えているのを見て泣いている。
ノブくんはさみしかったんだ。
でも、さみしいなんて言えなかったんだ。
もっとぼくを見てよ!とは言えなかったんだ。
ノブくんごめんな。ごめんなさい。
中学に入ってから、私はいじめられるようになった。中学校では、小学生時代のキャラクターは通用しなかった。
他の小学校から来た、運動が出来る体の大きなやつらに小突かれたり蹴られたりするようになった。
そんな時、ノブくんは真っ先に「こいつは俺の友達だ!やめろ!」と言ってくれた。
私の人生の中で、そんなことを言ってくれたのは、後にも先にもノブくんしかいない。
それからというもの、私は気軽に「友達」という言葉を使えなくなってしまった。
やっぱりノブくんは悪いやつだ。
問題
現在、私は問題を抱えている。
このままではいけない。何かを変えなくては。そんな気持ちに急き立てられている。
しかし、何もかも全てを解決できるような素晴らしい答えなんて浮かばないし
浮かばないゆえに問題を抱えているのだ。
だから、とりあえず問題を明確にして、少しでも解決に向かえるように、自分が置かれている状況を明らかにして行きたいと思う。
5インチのタッチパネルから覗く事のできる世界は、私の肉体的限界を超えて
どこまでもどこまでも広がっているように思えるが
しかし、しかしである。
私は今ココの問題に答えなければならないのだ。
情報の洪水に溺れている場合ではない。
そう思うのです。